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3月
21st
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3月
9th
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Twitter / toomanyowls: 送っていただいた野菜で恐縮なのですが、これにはビックリ。これ …
送っていただいた野菜で恐縮なのですが、これにはビックリ。これどうなの、イトーヨーカ堂さん。長野と北海道に玉木敏明さんがいるの? 同姓同名で偶然キノコ農家さんなの? 消費者を騙すにもほどがないかい。他の県にも同じ人がいたりして。

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Twitter / toomanyowls: 送っていただいた野菜で恐縮なのですが、これにはビックリ。これ …

送っていただいた野菜で恐縮なのですが、これにはビックリ。これどうなの、イトーヨーカ堂さん。長野と北海道に玉木敏明さんがいるの? 同姓同名で偶然キノコ農家さんなの? 消費者を騙すにもほどがないかい。他の県にも同じ人がいたりして。

(otsuneから)

3月
8th
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保育園のころ、魔法を使える先生がいた。

その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。

まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。

私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。

とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかった。最近の保育園ではどんなに小さな怪我も許されないと聞いている。それに比べれば、なんというか、おおらかな時代だったのだろう。

私たちは3歳~4歳のときに数々の伝説を作り、悪評を確かなものにしていた。そして、そろって5歳児クラスに進級した。そこで出会ったのが、まこ先生だった。

その保育園は2人担任制だった。まこ先生のほかにもう1人、とても若い先生──ここでは「きく先生」としよう──が、私たちのクラスを担任していた。さらに時々、見覚えのない先生が来ていた。たぶんパートタイムの保育士を雇っていたのだろう。まこ先生ときく先生の2人の正規職員+パートタイムの計3人で、最凶の悪ガキ集団を迎え撃ったのだ。



きく先生は、子供からあまり好かれていなかった。

決まりごとに厳格で、ルール違反を絶対に見逃さなかった。たとえばお昼寝の時間。横にならない子供が1人でもいると、烈火の如く怒った。眠気があろうとなかろうと、子供たちを片っ端から布団に叩き込んでいた。私は昼間に眠くならない子供だったので、きく先生に監視されているお昼寝の時間がひたすら苦痛だった。

たとえばお散歩に出かけるとき、給食を食べるとき、そして読み聞かせをするとき。そんなときは、子供を1カ所に集めなければいけない。大人の言うことを聞かせなければいけない。ルールに厳格なきく先生は、きっと、号令1つで子供が動くのを理想としていた。「集まりなさい!」と命令すれば、子供たちが遊びをパッとやめて駆け寄ってくる。彼女はそういう状況を求めていた。

しかし私たちは悪ガキ様ご一行だ。そんなこと、できるわけがない。

言うことを聞かない私たちに対して、きく先生はヒステリックに怒鳴るだけだった。「集まりなさい!」「遊びをやめなさい!」「こっちに来なさい!」そして「言うことを聞きなさい!」……まこ先生が休んだときは、きく先生の怒声が教室に響くのだ。やがて子供たちも慣れてきて、きく先生の言葉を聞き流すようになった。「はいはい、集まればいいんでしょ?」みたいな斜に構えた態度を取るようになった。子供とはいえ、5歳にもなれば「話を聞くふり」ができるようになる。心の中では相手をバカにしているのに、態度だけ取り繕うことができるようになる。



まこ先生は違った。

たとえば子供を集めるとき。まず右手の指を3本、左手を2本伸ばして、胸のまえに突き出す。そして「あわせて、いくつだ!?」と近くの子供に聞く。相手はぽかんとしながら、「5つ?」と答える。「正解! それじゃ次は……」と、また違う組み合わせの指を差し出す。遠くから見ていた子供たちが(何か面白そうなことをしているぞ?)と気づいて、まこ先生の周りに集まってくる。

そして3分後には、クラス全員がまこ先生の前に集まって、われ先に「指の数クイズ」に答えようとしているのだ。

指の数を当てさせるだけではない。ある時は、なぞなぞを駆使していた。

「暗くって、暗くって…暗ぁ~いモノは、な~んだ!」

まずはかんたんな問題から。まこ先生の近くにいる数人が、声を揃えて「夜~!」と答える。

「正解! それじゃ次は……白くって、冷たくって、甘ぁ~いモノは、な~んだ!」

これもかんたんな問題。子供たちは大声で「アイスクリーム!」と答える。遠巻きに眺めていた子供も、(なんだか楽しそうだぞ)と近寄ってくる。

「次の問題は、ちょっぴり難しいよ~?」

もったいぶった口調で、まこ先生は言う。

「高くって、高くって、高~いモノは、な~んだ!」

「天井!」「屋根!」「うんてい!」

子供たちは口々に、自分の知っている「高いもの」の名前を上げる。

「ううん、もっともっと高いものだよ?」

遠くのほうで遊びに夢中だった子供たちか(まこ先生が何かしてる)と気づく。次々に集まってくる。

「えっと~、サンシャイン!」「東京タワー!」「富士山!」

子供たちは夢中になって、矢継ぎ早に答えを口にする。まこ先生は首をふる。

「いいえ違います!もっともっと、も~っと高いもの!」

いつの間にか、クラス全員がまこ先生の周りに集まっている。

そして声を揃えて、「「空!」」と叫ぶ。

「はい、正解です!」

まこ先生はニコッと笑う。

「それでは空を見に、みんなでお散歩に行きましょう!」


これは一例にすぎない。まこ先生はありとあらゆる手段を使い、悪ガキ連中を意のままに操っていた。優しいばかりではなく、イタズラをしたときは厳しく叱られた。私も何度かげんこつを落とされた覚えがある。それでも、まこ先生がヒステリックに怒鳴ることはなかった。

子供の主体性を引き出して、自発的に大人の言うことを聞かせる。

まこ先生の技術はまるで魔法だった。



     ◆



先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。

定年よりも少しだけ早い退職だった。まこ先生いわく、体力が衰えたからだという。子供の抱っこがつらくなったから、もう保育士は続けられないと判断したそうだ。園長や役所の管理職を目指すのではなく、まこ先生は最後まで保育の現場に立ち続けた。

まこ先生のかつての教え子や、その親たちが集まって、ささやかな「お疲れさま会」を開くことになった。

私も同席した。20年ぶりに再会したまこ先生は、記憶のなかの姿よりもずっと小さかった。目尻や口もとには年相応のしわが刻まれて、「お酒は医者に止められているから」とウーロン茶しか飲まなかった。まこ先生はすっかり「おばあちゃん先生」になっていた。



きく先生が苦手だったこと。まこ先生はまるで魔法使いだったこと。

私がそんなことを話すと、まこ先生は控えめに笑った。

「きく先生だって、悪い先生じゃなかったのよ?」

ウーロン茶で口を湿らせて、まこ先生は続けた。

「たしかに、ちょっとマジメすぎる部分はあったけれど……でも、保育に対する情熱は私と変わらなかった。もしかしたら、情熱は私よりも強かったかもしれないわね。少なくとも『話を聞く子を育てたい』という目標は同じだった」

表面的な態度を取り繕うのではなく、心から大人の言うことを聞く子供。大人が与える言葉や知識を、すんなりと飲み込める子供。そういう子供でなければ、小学校に上がってから苦労する。幼児教育においても「保育目標」が設定されていて、子供たちを一定の水準まで育てあげる義務があるという。

「大人の命令を聞くという意味じゃないわよ」まこ先生は念を押した。「先生や親の授ける知識をスッと受け止めて、自分の頭で判断できるようになる。そのためには、大人の話をきちんと聞く子供でなくちゃいけない。私たち保育士がそういう子供を育てられなければ、その子の一生が滅茶苦茶になっちゃうわ」

責任の重たい仕事だったわね、まこ先生はしんみりと言った。

「だけど、ばつぐんに面白い仕事だった」

私は食い下がった。

「そうは言っても……やっぱり、きく先生のやり方がいいやり方だったとは思えません。子供たちはみんな、きく先生の話を聞く“ふり”をしていました。まこ先生のおっしゃる『目標』とは真逆ではありませんか?」

「そうね」

まこ先生は目を伏せる。

「気づいてほしかったけれど……。きく先生は気づいてなかったのかもしれないわね」

「気づくって、何に?」

子供は考えるのが好きだってことに」

昔のように、まこ先生はニコッと笑った。



指の数クイズも、なぞなぞも、まこ先生の技術は「子供に考えさせる」のが土台になっていた。「考える遊び」を駆使して、まこ先生は悪ガキどもに言うことを聞かせていた。

子供の「考える力」には個人差がある。

なかには頭の回転が速い子供がいる。言葉が達者で、口から先に生まれてきたような子供がいる。その一方で、ぼんやりしていて、何をするにもワンテンポ遅れてしまう子供がいる。けれど、どんな性格をしていようと子供は考えるのが好きだ。まこ先生は、そう言った。どんなにおっとりした子でも、その子なりに「自分で考える」のは楽しいのだ。頭を使うのはよろこびなのだ。

「だから、まったく考える余地を与えなければ、子供は言うことを聞かなくなる。表面的に取り繕うだけになってしまうの。反対に、ちゃんと考えさせれば、子供はきちんと言うことを聞く」

そして自分で考えた結果が「上手くいった」と経験するのが楽しい。1~2歳なら、パンツを自分で履けた。靴下がうまく履けた。そんな小さな成功が、子供は嬉しい。だから子供が何かに初めて成功してたとき、大人がきちんと褒めるのが大切だという。

「なるほど! 子供は褒めて育てるのが正解なんですね!」

「そうは言っても、褒めすぎもよくないのよ?」

「だけど…頭ごなしに怒鳴るよりもいいですよね!」

「怒鳴りたくなることぐらいあるわよ。人間だもの」

40年近く子供と向き合ってきた人は、考え方の“厚さ”が違った。

「すごい、すごいと何をしても褒める親がいるけれど……褒めすぎると、今度は『すごい』と言われないと不安な子供に育ってしまうの。トイレに行っただけで『すごい?』と親に訊く。靴を履けただけで『すごい?』と承認を求める。できて当たり前のことを褒めるのは、子供にとってプラスにならないと思うわよ」

まこ先生は言葉を区切った。

「それから、今の親たちは忙しいでしょう。朝から晩まで働いて、くたくたに疲れて帰宅する。なのに子供はタダをこねて、まったく言うことを聞かない。そんなとき、怒鳴るなというほうが無理でしょう。どんなときでも笑顔を絶やさないのは、超人的なお母さんにしかできないわ。大人だって怒ることもあれば、キレることもあって当然。人間なんだから」

私はおずおずと答えた。

「そうは言っても……子供に対してムキになって怒るのは、やっぱりよくないことだと思います」

「そうね。子供の扱いに慣れていたら、怒らないで済むかもしれないわね。大人がカッとなるのは、子供に言うことを聞かせる方法が分からないからだと思うの。どうしても子供が言うことを聞かないから、どうすればいいか分からなくなって……それで頭に血が昇るんじゃないかしら」

「つまり、子供に慣れるのが大事ってことですか」

「そう、今の親たちは子供に接する機会に乏しい。人によっては、自分の子供ができるまで、まったく子供の面倒を見ずに大人になる」

だから子供の扱い方が分からない。

「たとえば、何を褒めるべきで何を褒めなくていいのかのさじ加減とか、疲れ切っているときでもキレずに済ませる方法とか、そういうものは子供と接してみないと分からない。子供と向き合った時間が長ければ長いほど、子供がどういう生き物なのか分かってくる。そして、うまく子育てができるようになる。私はそう思うわ。……ところで、あなたは結婚していなかったわね。あなたの身近に子供はいるかしら?」

「はい、姪っ子たちと……あとは子持ちの友人が何人かいます」

「だったら、その子たちとできるだけたくさん会っておくといいわね。あなたの知らないことを、子供はたくさん教えてくれるはずよ」

「そうすれば、私にも魔法が使えるようになるでしょうか?」

「魔法?」

まこ先生は首をふる。

「そんな大それたものじゃないわ、私は自分にできることをしていただけよ。私には保育ぐらいしか、できることが無かったから」

2月
26th
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国会図書館に行って30年前の雑誌掲載(プログラムが印刷されてある)のプログラムを手に入れ、 マシン語モニタを作成し 16進のマシン語プログラムを打ち込み Z80(CPU)アセンブラをC言語に変換するツールを作成し、 Z80データシートから消費クロックを計算しX1実機での速度にあわせ、 PSG(サウンドチップ)データシートを解析しサウンドドライバを作成し、 ゲームオーバーの曲を鳴らす部分はBASICなのでMMLを実装 オシロスコープで出力波形を比較して実装を修整する。 見たいな工程を経て作成されています。

h o v e r - a t t a c k

すげえ

(via tnoma)

(otsuneから)

2月
7th
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能力に応じて昇進が左右される組織があるとする。

このような組織において、ある役職(ヒラを含む)にある社員は、

  • その役職において有能であれば、さらに昇進する。
  • その役職において無能であれば、そこで昇進しない。

つまり任意の社員は、有能である限り昇進するが、新たについた役職において無能であればその役職のままである。

したがって、組織全体を見ると、任意の社員は、彼が無能であるところの役職に定着する(相対的に長い期間いる)ことになる。

しかも、無能な役職に定着する期間は、昇進システムが効率的であればあるほど(昇進に費やす時間が短い分)、長くなる。

これをピーターの法則と呼ぶ。

1月
11th
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川崎で男が逃亡してた件、その男は妻も子供もいるのに集団強姦や強盗してて、その友達も「そんなに凶悪なことじゃないだろw」「さすがデカいことやるわ」とか言って擁護してて、価値観も倫理観もまったく理解できない不気味な集団が自分の生活のすぐ近くに存在するのだと再認識した事が今回一番の恐怖
1月
6th
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子供の頃、つまり昭和一桁のころの師走って特別の雰囲気だったな。

畳替えは秋の終わりに済ましていたかも知れない。
殆どが和室で子どもが遊び回るから毎年畳み職人さんが台を持ち込んで新しく張り替える。
次の年は裏返して仕立て直して一年使う。
長い頑丈な針で縁を縫い付けて行く作業が面白くて傍にくっついて眺めていた。

師走になれば「てったいさん」と呼ばれていた屈強な男性が二人程で家中の掃除をしにきてくれる。
天井などの煤払や床下や女手だけでは手の届かない所はいっぱいあった。
母は陣頭指揮でピリピリしていたから父と子どもは邪魔にならないように避難してたものだ。

暖房器具は火鉢と炬燵くらいでその灰を新しくするのが父の役目だった。
届けられた藁束を庭の隅で焚火する。
それにあたりながらノンビリと父と話し合うのが楽しかった。
真っ黒になってまだ藁の形状を留めているのを家中の火鉢やあんかの灰色の粉になっていたのと入れ替えると新しい年が来るって実感したものだ。

年末にはクリスマスの行事も有ったから結構忙しかった。
父の田舎からはカマスに入った丸いお餅と、干し柿などが送られてくる。
舗装されていない道路を大きな門松を乗せた大八車が行き交っていた。
町に一軒だけあった洋服屋さんが姉と私のために生地見本を持って寸法を採りに来てくれる。 
師走は洋服店も忙しそうだった。 既製品など殆ど無かったみたい。
姉と違って興味の無かった私は母任せだった。

晦日、大晦日になればおせち造りで台所はてんてこ舞い。
私もゆで卵を裏ごししたり、擂り鉢を押さえたり少しは手伝った覚えが有る。 お祭り騒ぎで楽しかった。

師走の緊張した喧噪さと一夜明ければ、空気が一変してそれぞれ正装して座敷に行けば父母がにこやかに大きな火鉢に手をかざしている。
その格差に新年を子ども心に心地良く引き締まった気持ちにもなったものだ。

戦争に突入する前の平和な風景だった。
私は中くらいの平凡な家庭だったけれど日本全体から見れば恵まれていた。
小学校の低学年でも不平等、格差社会は漠然とだが感じていた。

1月
5th
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子供が報告してくる『聞いて聞いてあのね、きょうね』は聞いて貰って初めて記憶として脳に残るのだそうです。聞いて貰えないと脳は無かった事と認識する。現実が消えるのだそう。子育てにおいて聞いてあげるコト、すごく大事なんだな。

Twitter / naperi1011 (via yorozuna)

だからほとんど記憶が無いのか。

(via y-u)

(plus16hoursから)

12月
31st
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子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした

Twitter / hironobutnk (via igi)

(otsuneから)

12月
26th
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顔に縫い後のある、凄腕の無免許PGになって「金はいくらかかってもいい! このシステムを完成させてくれ!」「その言葉が聞きたかった」というようなやりとりをしたい。

Twitter / @総統 (via rpm99)

どうしても直せないバグを目の前に頭を抱えて「PGがプロジェクトの生死を自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。」って言われるんですね。分かります。

(via yoosee)

(otsuneから)

12月
17th
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平均的な4歳児は、毎日400個以上の質問をしている。このときの返答次第でその子の性格とか知能とか決まる。

(12) Tumblr (via kissmyhipbone)

(mifeiから)

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飲食店を経営している人たちの夢のひとつが、
「借金をしないで営業できるようになる」
コトでもあります。
事業用におこした借り入れは
10年程度で返却しきるコトになっている。
だから歯を食いしばってがんばれば
いつかは誰でも無借金の状態に
なろうと思えばなれるのでしょう。
けれどかなしいかな、10年も経つと
お店のいろんなところにガタがきて改装したり、
手直ししたりしなくちゃいけなくなったりする。
そのときに手元に資金の蓄えがあればいいのだけれど、
大抵の人は再び改装資金を借り入れしたりすることになる。
飲食店の借金はなかなか減らないようにできているのです。

そんな中でも一部の人は無借金という
素晴らしい経営環境を手に入れる。
僕のおばぁさんがそういう幸せな経営者の一人でした。
経営者と言っても、経営していたのは一軒だけ。
他の無借金経営を手にするほとんどすべての人と同じく、
街一番の上等な店という、暖簾に恥じぬ営業努力と、
その名声にふさわしい上等な値段を頂戴し続けてこその
ご褒美で、それは彼女が65歳を越えての快挙。
お店のおなじみさんたちが集まって、
お祝いの宴会をしてくれたほど。
それというのもその店は、祖母が55歳のときに、
それまで子どもたちと一緒に経営していた店を
全部、彼らに手渡し、第二の人生を送るためにと
借金をして作ったお店。
子どもたち‥‥、その中にはボクの父も
当然、含まれていましたけれど、
彼らは店をどんどん大衆的にして
チェーン展開をするかたわらで、
祖母はただただかたくなに手仕事だとか仕入れにこだわり、
昔ながらおいしい料理を作りつづけた。
子どもたちの借金は増え、
祖母の借金はなくなったという、
なんだか不思議な物語。

酒の力もあってでしょう。
おなじみさんの一人がこんなコトをいう。
「女将さん。もう借金を返さなくてもいいんだから、
 明日から値段を下げても十分、利益は出るよな!」と。
ばぁさん、やおら立ち上がり、こう宣言をしたという。

もう明日から、お客さんが半分に減ろうが私はこまらない。
今まで一生懸命、
借金を返さないといけないと思ったからこそ、
みんながよろこぶ値段で商売してきたんだ。
これからは、自分が納得できる料理を
納得できる値段で売らせていただきますよ。
明日うちにきて、値段が倍になってても、
ビックリしちゃぁなりませんぞな‥‥、と。

その翌日から値段が倍になることもなく、
けれど安くすることもなく。
今まで通りの料理を今までの通りの値段で
ずっと商売しつづけた祖母。
当然、利益は今まで以上でることになり、
さて、それをどうしたかというと
上等な食器を毎月、次々買った。
古瀬戸であったり古伊万里だったり、
あるいは地元の窯の作家物とかを次々買ってく。
しかもそれをコレクションにするのでなくて、
惜しげも無く普段の営業に使って料理をふるまった。
その贅沢におなじみさんはみんな感謝し、
街一番のお店としての名前はどんどん高まっていく。
お客様のお陰で借金を返させてもらった人がすべきこと。
それは「利益還元セール」ではなく、
「お金で買えぬ夢と贅沢」を
提供して差し上げることなんだと、
ずっと祖母はいっていた。
飲食業は商売であると同時に文化でもある。
商売なら安売りすることもできるけど、
文化を安売りするなんて恥ずかしいことできるもんか‥‥。
そんなことをしたら同業の人に申し訳ない‥‥、
とそんなコトも言っていたのです。

12月
16th
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実家で初葬儀があって、初めて宗派を知ったレベルだが、
・戒名が無い(何とか居士とかじゃない=文字数で値段が変わらない)
・卒塔婆も無い
・生前の行いは一切関係ない
・三途の川を渡る必要がない(死後いきなり極楽へワープ)

普及のためとはいえ、こんなチート仕様でいいのか。

11月
18th
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昨日、友達と話してたら

「瞬間接着剤って、使いたい時に良くダメになってるよねぇ?」

って言ってたので???(´・ω`・)エッ?っとなった(笑)

プラモデルをしない、ごく一般的な彼いわく、

瞬間接着剤は生モノのようなモノで、開封したら直ぐに使い切らないと

固まってダメになっちゃうって事らしい。

確かに正論。冷暗所に保管して開封後は速やかに使い切る。

間違っては無い。

だけど、彼の保管方法を聞いて「なるほど!ソレでだ!」って

思った。全然、「湿度」に気を配って保管してないのだ。

今や、瞬間接着剤は、当たり前のように普及して、数多の種類や

100円均一でも売ってるほど。

そして、プラモを作るアマチュアからプロまで、大半のモデラーも

瞬間接着剤を多用しています。

しかし、セメント接着剤や糊と混同してしまい、「乾いて引っ付く」と

思い込んでる一般人が多いみたい。

モデラーの人では常識でも、これからプラモを始める人や

三十路からプラモが再熱して「今更、聞けない」って事もある。

っで、今日は、瞬間接着剤の常識のネタを。

言うまでも無く、コニシボンド社の(東亜合成)「アロン・アルファー」や

セメンダイン社(ヘンケル)「ロック・タイト」など、瞬間接着剤ってのは

「シアノアクリレート」が主成分。

厳密には、メチル基やエチル基やブチル系など種類や、ホンの1%に

満たない成分の配合で各社&各種類があるけど、基本的には、

「シアノアクリレート」が主成分。

私のように工学部を出て無くても、判るように説明すると

シアノアクリレートは、そのままだと水のような「モノマー」って状態。

っで、空気中のホンの僅かな「水分」で重合(簡単に言うと結合)して

「ポリマー」になるのね。

誤解を承知で、一般人にも判り易く書くと、

最初の分子のような固まってない状態が「モノマー」っでコレが

何かに反応して集まって連鎖的に結合するのが「重合」

んで、そのカタマリが高分子「ポリマー」って言います。

(↑ひぇー・・・なんちゅう誤解を招き易い解釈だw

 んま、一般人にはこの位、簡単明瞭に書いた方が判り易いかと?)

これは、プラモの原料のポリスチレンとか、可視光線硬化パテ

(通称「光パテ」)も全部、この「重合」って作用だから、覚えておいてね?

っで、この「シアノアクリレート」ってのは、僅かな水分で重合を始める。

「乾いて固まる」って系統は、水分やアルコールやシンナー成分など

何かが「揮発」して固まってるのに対し、コレは水分が起爆剤のようなモノで

固まる。(だから揮発系は、揮発する分、パテとか必ず「ヒケ」が出来る。

逆に重合するタイプはヒケが殆ど無い。この話は、また今度にでも。)

だから、乾燥=乾いてダメになるのは揮発系で、逆に、瞬間接着剤は

湿気を嫌う。ココを混同しちゃうと、開封する度に瞬間接着剤は白化して

ダメになる。

このシアノアクリレートの反応を利用して「指紋採取」って方法があるけど

僅かな水分が無くなるほど古い指紋だと指紋は取れなかったりする。

image

だから、私は、瞬間接着剤は、こうやってタッパーに密封して

乾燥剤で湿気を防いでる。こうやると結構「長持ち」する。

友達に教えると「へぇ~?知らなかった」って言ってたから

もしかしたら、ココを見てくれてる、ごく少数の人にも役に立つかな?

っと思って、常識的なネタですが書いてみました。

11月
13th
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目が悪くなる理由は、遺伝でもなく、読書やテレビゲームやパソコン作業による目の酷使でもなく、単純に日照不足であるという驚きの新研究結果が発表されました。